ニューヨークー♪
てな気分で
ポロック展にいってきました〜!
近代美術館、来るのは岡本太郎展以来
ゴールデンウィーク近しで
どんなに混んでるかと思ったら…

すいてる………
拍子抜けしちゃったけど
ほんと人いなくて中もすごくゆったり見れてよかった。
ポロックの初期の作品から
ポロックを有名にしたポーリングの技法に至るまで
それからその後の苦悩の晩年の作品まで
趣向や技法がみるみるかわっていって
絵を見ればポロックの人生が手に取るようにわかる程
だけどポロックって人は
そんな単純な人じゃもちろんなかったようで。
まあ、それは置いといて
初期のポロックはメキシコ壁画やネイティブアメリカンの影響を多大に受けていたのがわかりました。
後期の作品でも色は赤土のような色を使ったり
ターコイズのようなエメラルドグリーンのような色を使ったりしているのは
その名残なのかな。
その後、ピカソやマティスなどのヨーロッパモダンアートにも
興味を持ち始めて
さらにそれを超えようとする。
そして、ポーリングが生まれる訳だけれど。
最盛期のポーリング作品は
実物を見たらやっぱり圧倒されてしまったよ
かといって気持ち悪くはならなかったけど。
いがいと、綺麗、、というか。。
とはいえ印刷物はもうぜんぜん敵わない!
図録はばかばかしくなって買いませんでした。
かといって200億円の絵も買えないんだけど。
絵の具のモッタリ感、でこぼこ、重なり合い
それ全部がポロックの魅力なので印刷で平たくなっちゃったのじゃ物足りなく見えたの。
小石とか貼付けてる作品だってあったし。
シルバーとかも使うし。
ポーリングをしているポロックの映像もあったんだけど
それを見たら、ポロックが筆や棒の先から流れ落ちる絵の具を
コントロールして描いているのがよくわかる。
ポロックの絵は偶然なんかではなくて。
『私は下書きや素描を描くことはしません。私の絵は直接的です。
たいていは床の上で描きます。
キャンバスを床に置くことでその絵の一部になる感じがするのです。
そうやってキャンバスの周りを歩き回り、四方の全てから描き、また、中に入ることもあります。
西部の先住民のやり方に似ています。
直接的な書き方は自然に生み出されたもの。
私は自分の感情を表現したいのです。
技法は何かを表現する為の手段でしかありません。
描いているとき私は自分のやっていることを大まかには理解しています。
私は絵の具の流れをコントロールすることができます。
そこに偶然はありません。
はじめも終わりもありません。
絵がうまくいかないことも時にはあります。
変更したり、イメージを消し去ったりすることを私は恐れません。
なぜなら絵はそれ自身の生命を持っているからです。
私はそれを引き出そうとしているのです。』
っていってるポロックには真面目かっ!とつっこみたくなるけど
なるほど、と思った一文を控えてきました↑
でも
『くそっっ!ピカソが全部やっちまった!』っていって
ピカソの画集を投げつけたりとか、
新聞に自分の絵が「カオスだ、くそったれ。」と書かれて
速攻電話して『カオスじゃない!くそったれ!』って言ったりとか
そーゆうエピソードの方がポロックらしいくてかっこいいな〜と思った。
一つ印象に残った作品があって
無題の1950年の作品なんだけど、ブラックポーリングって日本の書道に似た
白い横長の紙に黒の絵の具で3つのポーリングがしてある作品。
よく見ると一番左の黒いポーリングの端っこが
白い絵の具で修正されている。
当時はうまく隠れていたんだけど、年月が経って
肉眼でも修正の跡が見えてしまうようになったと注釈にはかいてあったんだけど
ポーリングが偶然の産物ではない、というのが実感できる作品でした。
映像でもくわえ煙草にオーバーオール(っだったか??)
眉間にしわ寄せて描いてる姿はかっこよかったな〜
オールオーバーのポード絵画なんで
スニーカーにも絵ができていくのね。
そして、床にも。
最後にポロックのアトリエの床が再現された
ブースがありました。
実際使ってた絵の具とかも



